ロラン・バルトと「身振り」の詩学
ロラン・バルトと「身振り」の詩学
はじめに
欧州諸国を訪れるたびに感じるのは、現地の人々のコミュニケーションにおいて、いわゆる身振りが大きな役割を果たしていることである。と言うか、彼らの身振りそのものが、日本人のそれと比較して大きく、活発で明確に見えるのである。
彼らが街角や家庭で交わしている日々のやりとりを見ていると、確かに中心的な役割を果たしているのはしばしば言語活動であって、身振り手振りはあくまで副次的な位置に置かれているように見える。だが、そのいっぽうで、そうしたボディ・ランゲージは、社会関係のなかで一定の記号としての機能を担っており、歴史的に深く浸透していることは疑うべくもない。しかも、ときとしてそれは、言葉の通じない異国の人々のあいだに、コミュニケーションを通わせるきっかけともなりうるのだ。
そうした象徴的記号としての身振りは、他者との接触・愛撫・殴打といった、物理的な作用を伴うものにかぎらない。顔の表情や目線の配りかたに始まって、手足や姿勢による合図、諸々の道具を使ったしぐさは、たとえば手話ほど明確に分節化された体系としては意識されていないものの、ある種の豊さと魅力をたたえた宇宙を構成していると言うことができよう。
ロラン・バルトは、青年時代から古代演劇に親しんでいたこともあって、演劇的な身振りに対する関心がことのほか強かった。とりわけ批評家としての彼が晩年に至るまでこだわっていたのは、絵画や写真などにおける、ある種の誇張されたポーズである。バルトの批評において、「身体」が最も重要なテーマであることはよく知られている通りだが、スペクタクル化した身体表象に関する彼の議論を考察することは、このバルト的なテーマに対する一つの有効なアプローチともなるだろう。
本稿ではこのような問題関心から出発して、バルトにおける身振りの詩学とでも呼びうるものにについて論じてみたいと思う。その詩学に固有の性格をあらかじめ言っておくなら、それは、確固たる主要概念を中心に据えた体系的な理論のようなものではない。むしろそれは、複数の概念系統からなるネットワーク化の運動とでも言うべきものであり、バルトが語ろうとし続けていた身振りの形象は、あくまでそのネットワークのなかを浮動するものとしてのみ捉えられる。
このネットワークをかたちづくっている概念系統のなかでは、われわれはとりわけ次の二つが重要であると考える。その一つは、ドラクロワの歴史画をめぐるボードレールの言葉、「人生の重大な状況における身振りの誇張された真実」であり、もう一つは、「合図」「神の意志」といった意味のラテン語、「ヌーメン」(numen)である。いずれもバルトのさまざまな著書のなかを、繰り返し循環している言葉だが、バルトの批評言語を統御している「マナ=語」としての「身体」を捉えようとすることは、こうした身振りを見つめる彼の批評的思考が、どのような独自の展開をみせているかを明らかにすることにほかならない。
われわれは、すでに他の機会に、ボードレール的な誇張の概念や「ヌーメン」という概念の問題を、バルト的な「第三の意味」の議論との関連で指摘しておいた(1)。これら二つの概念系統については、三十年間余にわたるバルトの執筆活動の展開に沿いながら、それら相互の接近や分離を跡付けること、言い換えれば、バルトに固有な理論的「転位」の総体において理解することが必要である。その必要性は、例えば図1のような、両概念の交差展開を概観してみれば、理解していただけるだろう(ここで【N】と【B】は、それぞれ「ヌーメン」とボードレールの言葉を、バルトが使用している著書及びその出版時期を示している。また*印は同一箇所での使用を意味している)。
[BLOGでは図1は省略しております]。
ひとまずこれら二つの概念の相互関係を整理しておくならば、その理論的な位相は、ほぼ次の三つの時期に大別できるように思われる。すなわち、(a)ボードレールの絵画論の記憶が、バルトの言説に投影され始める時期(一九四四年〜五一年)。(b)「ヌーメン」の概念がバルトの批評理論に導入され、双方の概念が接近してゆく時期(一九五二年〜六四年)。(c)接近の結果、双方の概念が反省的に再定位される時期(一九六五年年〜八十年)。以上の三つである。本稿では、このおおまかな見取り図を念頭において、そのネットワークの構成を検証してゆくことにする。そしてバルトの仕事の軌跡において、「身振りの詩学」と名づけうるものを位置づけながら、ささやかな考察を試みてみたいと思う。
* 以上で序章は終わりです : 興味を持ってくださった方には、申し訳ありませんが、市販されている共著という性格上、全文UPは控えさせてください。つづきは上掲書でお読みくださいますよう, pardonnez-moi !
「過去に発表した論文」カテゴリの記事
- 「ゴダールとラ・トゥール――降誕する光の詩学」(2009.01.20)
- 「群集の肖像、眼差しのアーカイヴ」(2008.05.20)
- 映像と記号のエチカ(2005.10.03)
- 「ミュージック・ヴィデオ分析試論」(2008.02.27)
- 「不実な鏡」(2008.04.30)

Commentaires