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ジャンルとしての「エッセイ」  その理論的地平について

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『専修大学人文科学年報』第34号, 2004年, p. 65-88 に掲載した論文(約55枚)の全文です。

ジャンルとしての「エッセイ」  その理論的地平について


1

 「エッセイ」をジャンルとして定義することは、どのようにして可能となるだろうか。例えば、OEDを見てみると、「エッセイ」の項目には、「ある特定の主題、もしくはある主題の一部について適度の長さをもつ作文(composition)。元来、完成度の欠如したものか、≪不規則でまとまりのない作品≫を意味していたが、現在では範囲において限定されてはいるものの、文体面では多少なりとも入念に練られた作文のことをいう」とある。この「不規則でまとまりのない作品」(an irregular undigested piece)という表現は、自らもエッセイストであった十八世紀イギリスの作家サミュエル・ジョンソンによる言葉だが、多少なりとも理論的にこのジャンルのことを考えるためには、いささか心もとない定義であることも確かだ。
 「エッセイ」という語は、もともとルネサンス以前は文学ジャンルを指示する単語ではなかった。今日知られているような文学的な意味で初めて「エッセイ」を書名に使ったのは、フランスの作家ミシェル・ド・モンテーニュである。彼の著書が書かれた時代には、「エセー」(essai)というフランス語は、「試し」という意味の普通名詞だったし、今日でもなお、同じような意味において、「テスト飛行」(vol d’essai)や、ラグビーの「トライ」(essai)といった表現で日常的に使われている。その名詞が、『ミシェル・ド・モンテーニュのエッセイ』というその作品の形式の成功によって、しだいに受け継がれ、西洋社会に定着し、その結果「小説」と並ぶとともに、今日では「詩」よりも一般的な文学ジャンルになったのである。
 例えば、詩や小説を記載した文学史の年表は、これまでもいたるところにあふれているが、ここで思いつくままに、文学史における主要なエッセイを列挙してみよう。

1580-88   モンテーニュ『エセー』
1597-1625  ベーコン『随想録』
1690     ロック『人間悟性論』
1711     シャフツベリー『人間、風俗、意見、時代の諸特徴』
1711-12   アディソン『スペクテイター』
1721-24  マリヴォー『フランスのスペクテイター』
1727  マリヴォー『貧窮せる哲学者』
1756-69  ヴォルテール『諸国民の習俗と精神に関する試論』
1778-82  ディドロ『クラウディスとネロの治世に関する試論』
1781  ルソー『言語起源論』(没後刊)
1782  ルソー『孤独な散歩者の夢想』(没後刊)
1817-23   ラムネー『宗教に対する無関心についての試論』
1818  バランシュ『社会制度論』
1823  ラム『エリア随筆』
1825  ブリヤ=サヴァラン『味覚の生理学』
1844      サント=ブーヴ『文学的肖像』
1845 バルベー・ドールヴィイ『ダンディズムとG・ブランメル氏について』
1851-62  サント=ブーヴ『月曜閑談』
1863-70  サント=ブーヴ『続月曜閑談』
1863-64  テーヌ『英国文学史』
1864  ユゴー『ウィリアム・シェークスピア』
1888  ルナン『科学の未来』
ヴァレリー『レオナルド・ダ・ヴィンチ方法序説』
1900     ベルクソン『笑い』
ホフマンスタール『チャンドス卿の手紙』
1905  チェスタトン『異教徒の群れ』
1910  ペギー『われらの青春』
    ルカーチ『魂と形式』
1921  リンド『無智の楽しみ』
1924-44  ヴァレリー『ヴァリエテ』
1925  アラン『幸福論』
1930  ブロッホ『痕跡』
1931-32, 38 ベンヤミン『1900年頃のベルリンの幼年時代』
1935  レリス『成熟の年齢』
1937  モーム『サミング・アップ』
1939  カミュ『結婚』
1941-43  ヴァレリー『あるがまま』
1942     カミュ『シーシュポスの神話』
1943     バタイユ『内的体験』
1947     アルトー『ヴァン・ゴッホ 社会が自殺させた者』
1947-76  サルトル『シチュアシオン』
1951     アドルノ『ミニマ・モラリア』
1957     バルト『神話作用』
1961     バシュラール『蝋燭の炎』  
1967    ル・クレジオ『物質的恍惚』
1968     ビュトール『エッセーについてのエッセー』
1969     ブランショ『終わりなき対話』
1975     バルト『彼自身によるバルト』
1981      デュラス『アウトサイド』
1990 キニャール『小論集』

 おそらく誰もが多少なりともこれらの作品名は知っているにもかかわらず、伝統的な文学史の記述には、そもそもこのような年表の構想自体が不在であったのではなかろうか。そのいっぽうで、現実の社会に目を向けると、例えば今日のフランスにおける大衆的な新聞、『ジュルナル・デュ・ディマンシュ』紙が載せている週間ベストセラーには、「小説」と「エッセイ」という二つの分類項目しか存在しない。この二分法はフランスのメディアでは決してめずらしいことではなく、週刊誌『エクスプレス』の週間チャート欄も、「フィクション」と「エッセイ・ドキュメント」という範疇になっている。「エッセイ」は「小説」以外の散文、「フィクション」ではないさまざまな散文を抱合しうる、きわめて許容量の大きいカテゴリーと見なされているのだ。
 日本でも文学的な市民権を獲得しているこのジャンルは、それゆえたいがいの書店にそのコーナーが設けられており、いわばよく見かける「隣人」のような存在である。だがその一方で、われわれはこの「隣人」のことを、通りすがり以上にどれだけ詳しく知っているだろうか。韻文における詩法や音韻の研究、また、小説における語りや構造の分析が、それなりに幅と厚みを持った「知」の堆積を築いてきたのにたいして、これだけ社会に受容されているジャンルがほとんど理論的に究明されていないというのも不思議なことではある。
 例えばわが国にも、『エッセイの書き方』(日本エッセイストクラブ編、岩波書店、1999年)のように、書き手がエッセイの流儀を語った書物は確かにいくつか存在する。だが、それらの多くは、実は各人の経験に基づく生活観の述懐であり、執筆入門の形を借りて、「人生」へのイニシエーションを語っているに過ぎない。
 かかる受容状況には、おそらく以下の二重の理由があるだろう。まずなんと言っても、「エッセイ」という言説の形式化が困難だという理由が考えられる。むろんこれは散文一般に多かれ少なかれあてはまることであり、音節数などの規則が明確に存在する詩の場合と比較してみれば明らかである。だが、散文のなかでも、物語による形式の場合はどうか。この分野ではすでにプロップ、レヴィ=ストロース、グレマス、バルト、ジュネットによるナラトロジーが豊かな成果をあげていることは、広く認められてる通りだ。
 もうひとつ考えられる理由は、エッセイの制度的な地位規定の低さに関っている。論文集『エッセイについてのエッセイ ジャンルの再定義』(1989年)の編者J・バトリムが、同書の序文のなかで、「エッセイストはなぜ二級の市民と見なされているのだろうか」という疑問を投げかけているが、その「二級」という形容がすべてを物語っているように思われる(1)。
 例えば或る作家が、同じテーマで小説とエッセイをともに発表しているとしよう。この場合、研究者がエッセイを小説の解読のために副次的な資料として扱うことはしばしばあるが、現在の文学制度においては、その逆の資格づけがなされるケースは皆無といってよいのではあるまいか。
 エッセイを書くという言語活動が、社会的にどういう固定観念のもとに眺められているか、このジャンルにまつとわりつきやすいイメージをいくつかあげてみよう。――書き手が専門的に従事している「本職」にたいする「余技」。美しい響きをもった詩や波乱万丈の大河小説を書き上げるような特殊な「才能」を要請しない、アマチュア的、大衆的なジャンル。むしろ「作為的なもの」は極力排し、パーソナルな内容を率直に告白する言表行為。論理的な学術論文などとは違い、アドホックな「習作」にすぎないという断片性、非体系性、未完成性、無計画性などなど・・・。
 それにしても、果たしてわれわれは、エッセイはこのように分類不可能で未成熟なテクストであると、千篇一律のごとく反復しているだけでよいのだろうか。「エッセイ」のジャンルとしての魅力、その独自の性質をポジティヴに語るためには、こうしたイメージからいったん距離を取る必要がある。その距離設定のための手がかりを与えてくれる貴重な研究の一つが、グロードとルエットの近年の共著、『エッセイとは何か』(2)である。同著の議論を検討するにあたって、われわれは、ひとまず問題の背景になっている従来のエッセイ受容・研究史をざっと概観することから始めよう。それから、彼らのエッセイ論の主要な論点を取り上げて、そこに含まれる理論的射程について考えてみることにしたい。


2

 これまでにエッセイそのものを主題的に論じてきた仕事は、決して数こそ多くはないが、存在することは存在する。ここではそのタイプを大きく次の三種類にまとめて振り返ってみたいと思う。
 a) 作家のモノグラフィのなかでエッセイをとりあげる仕事。これは、モンテーニュやバルトのように、その主要作品の形式がエッセイである作家の場合、当然ながら彼らのエッセイが重要視されるからである。また、彼らの作品を比較対照させつつ、このジャンルの自己反射的な特性を論じようとしたレダ・バンスマイアの『エッセイにおけるバルト』(3)のような仕事もある(むろん、このタイトルには「試されるバルト」というもうひとつの意味が折り重ねられている)。
 b) 批評という言語活動の形式としてのエッセイに注目した仕事。ギリシア・ローマの古典文学と、それを読んで消化する主体との関係についての反省意識は、すでにモンテーニュにも見られるが、それを現代的な批評家の自覚として展開したのが、G・ルカーチの『魂と形式』に収められた「エッセイの本質と形式について」(1910年)であり、そのテクスト自身がエッセイについてのメタ・エッセイになっている。
 ルカーチによると、伝統的な芸術作品の諸ジャンルが、プリズムを通過した太陽光線の虹色だとすれば、「知的な詩」としてのエッセイはその外部の「紫外線」にも等しい存在である。だが、エッセイもまた芸術と同じく、無限定な生という現実にたいし、新たな創造を志向する独自の形成様態として、一個の自律した芸術ジャンルたりうるのだとルカーチは宣言している。
 こうしたルカーチの弁証法的なエッセイ論にたいし、『文学ノート』のなかの「形式としてのエッセイ」(1958年)におけるアドルノは、美学的自律性より、真理にたいする要求としてのエッセイを強調し、これを芸術作品からは区別している。エッセイは、精神的経験を諸概念の星座によって描き出そうとする止揚なき運動なのだ。アドルノは、「方法的に非方法的」な知的探求としてのエッセイを、その非同一性ゆえに積極的に評価しているが、それはこのジャンルがつねに自己反省的な緊張状態を保つ「第一級の批評形式」だということを意味している。
 さらに近年では、エドワード・W・サイードも、『世界・テキスト・批評家』(1983年)の第一章が、部分的にルカーチのエッセイ論に言及していることを付け加えておこう。サイードが論じているのは、言説としてのエッセイの形式的特性というよりも、つねに世界のなかで芸術作品に先行されざれをえない批評家の位置の問題である。サイードは、批評の営為が過去によって規定される面よりも、開かれた実践=現在であるという面を強調している。
 c) 自伝のサブカテゴリーとしてエッセイを考察した仕事。先のb) の系列が多かれ少なかれアングロ=サクソン的な解釈学の色彩を帯びているとすれば、こちらは一人称の語りに注目したフォルマリズム的なアプローチだと言えるかもしれない。その出発点となった研究は、やはりなんと言ってもフィリップ・ルジュンヌの『フランスの自伝 : 自伝文学の主題と構造』(1971年)と『自伝契約』(1975年)だろう。ルジュンヌはルソーの『告白』を「自伝」形式のモデルとして、それを基準に他のさまざまな隣接ジャンルを分類している。
 ルジュンヌはまず狭義の「自伝」を、「実在する人物が、自らの個人の人生、特にその人格の歴史に強調点を置いて、自分自身の生活をもとに作るような、散文形式の回想による物語」として定義する。この定義は、つぎの四つの条件を満たすことによって構成されている。

1. 言語活動の形式
a) 物語
    b) 散文
2. 扱われている主題
個人の人生、人格の歴史
3. 作者の位置
作者(その名前は実在の人物を指している)と話者との一致
4. 話者の位置
a) 話者と主要な登場人物との一致
    b) 物語の回想的なパースペクティヴ

 ルジュンヌは、、この分類基準に照らして、「自画像またはエッセイ」を1a と4b の条件を満足していないカテゴリーとして規定する(4)。この分類体系のおかげで、回想録や伝記といった他の隣接ジャンルの位置関係も明確になったわけだが、こうした議論を踏まえて、とりわけ「自画像」の言説の原理と修辞学の関係を論じた研究が、ミシェル・ボージュールの『インクの鏡』(1980年)である。
 たとえば、ルジュンヌはエッセイの性質に関し、「よくわかるように、《エッセイ》のテクストはわれわれが定義するような自伝とは関係がない。エッセイには連続した物語もなければ、人格の体系的な歴史もないからである。自伝(Autobiographie)というよりはむしろ自画像(autoportrait)である[・・・]」(5)と述べていた(傍点は引用者による)。ボージュールはこの「否定辞の多い定義」(6)を出発点に据え、「自画像は、連続した物語の欠如によって自伝から区別される。またそれは、『テーマ的な』項目とかりに呼んでおく項目の下に諸要素を寄せ集める作業のような論理的展開に語りが従属していることによっても、自伝から区別される」(7)と考える。かくして「自画像」というジャンルは、「自伝」との対比において、つぎのように定義されることになる。

 自画像の操作的な定式は、それゆえ、「私は、私のしたことをあなたに物語るのではなくて、私が誰であるかをあなたに語るのである」となる(8)。

 ルジュンヌとボージュールのあいだにある視座の位相差は、前者がルソーによる物語的な自伝に、後者がモンテーニュ、レリス、バルトらの自画像的テクストに焦点を合わせていることから生じている。だが同時に、一人称のエクリチュールという地平でこのジャンルを位置づけようとしている点では、彼らは理論的フレームを共有しているとも言えよう。
 たとえばそのフレームの傍らに、晩年のミシェル・フーコーが「自己のエクリチュール」という論稿で提起した考察をならべてみることも可能だ。フーコーは直接エッセイを対象としているわけではないが、紀元二世紀前後の忘備録(hupomunemata)や往復書簡における主体構成の倫理的実践の議論は、近代の自伝文学を相対化する意味でも示唆に富んでいる。キリスト教的な「告白」の伝統からはいささか離れたそれらの言説においては、語るべき「私」があらかじめ対象化され確固として存在しているというより、書記行為の過程のなかで初めて自己が相互触発的に形成されてゆくような面が重要だからである。
 さて、このように従来のエッセイ研究を概観してみると、やはり印象的なのは、エッセイの万華鏡のような変幻自在の多様性である。O・B・ハーディソン・Jrが自分の論文のタイトルに使っていた、「プロテウスを縛ること」という表現が想い起されないこともない(9)。アモルフにして多種多様なこのジャンルを定義しようとするとき、あたかも人は「形式なき形式」という撞着語法に頼るしかないようだ。
 だが、この種のレトリカルな表現は、われわれの文学的思考を不断に刺激し続ける出発点となるならまだしも、それを到着点に位置づけることは、たちまち思考停止を課すデッド・エンドとなりかねない。なるほど、グロードとルエットも、エッセイは「講壇批評からは、どちらかと言えば放置されている」という状況を認めてはいる。だが、その一方で、彼らはこのジャンルがなおも研究に値することを強調し、「なぜなら、エッセイはいたるところにあり、しかも魅力的なのだから」(本書、六頁)とその理由を説明しているのだ。
 かくして、彼らはジャンル理論の徹底的な再構築に挑んでいるわけだが、われわれは次の第三節では、その理論化の作業をさらに具体的に見ていくことにする。なお、われわれの本稿における視点は、基本的に著者たちの立場に賛同するものであり、したがって、われわれが本稿の第四節で、『エッセイとは何か』に対して展開する考察の目的も、従来の文学制度への批判的な「賭金」という点においては、決して著者たちと方向性を異にするものではなく、むしろ彼らの理論的な射程の潜在的可能性を、さらに引き出そうとするものであることをあらかじめ明記しておこう。


3

 『エッセイとは何か』の主要な議論は、以下のような構成に沿って展開されている。まず、著者たちは、従来のエッセイ研究に関する方法論的な反省からスタートする(第一章)。出発点において、本書がエッセイに与えている暫定的な定義は、「論証的な目的を備えた、フィクションではない散文」という、発見法的なミニマルなものである。第一章「エッセイの論理」では、まず「ジャンル」の概念そのものが含む認識論的な問題が取り上げられ、つづいて経験論的なアプローチと、フォルマリズム的な詩学によるアプローチが、それぞれ検討されることになる。この章では、作品例のひとつとして初期のカミュのエッセイ『結婚』がとりあげられていが、地中海世界の光と風のなかに全身を浸してゆく語り手の宇宙論的とも言える陶酔感は、まさに一篇の詩を思わせるものだ。
 グロードとルエットは、理論的な地平の死角をひとつひとつ丁寧に埋めながら、われわれの思考をしだいに未知の領域へ連れ出してゆく。たとえば、彼らはエッセイの言説の「非線形」的な逸脱現象を考察するために、「散文詩」というなじみのジャンルを出発点にとる。そして、ちょうど「散文詩」と鏡一枚へだてた位置に、「散文的なものと詩的なものとの交差点」(10)という、いわば「詩的散文」とでも呼びうる操作概念を仮設するのだ。韻文の場合なら、脚韻や韻律といった音韻的な単位の反復が明白なメルクマールとなるから、これをモデルにしてエッセイの流動性を記述できないかというわけである。
 だが、著者たちによれば、エッセイにおける主題の反復・変奏は、必ずしも韻文形式のように制度的に規則化されているわけではない。ペギー、アラン、ヴァレリー、ヤコブソンらの検討を踏まえて本書が主張するのは、テーマ論的なアプローチも、フォルマリスム的なアプローチも、本質論的なフレームに属しているかぎり、エッセイとジャンルの関係は解きほぐせないということである。第一章の後半では、そのような方法論的反省をもとに、M・アンジュノーによる言表行為の修辞学的な分類図が考察され、言語行為理論の次元で、「物語る」ことと、「試す」こととの位相差が敷衍されることになるだろう。
 つぎに、モンテーニュから、英文学を経て現代文学に至る、数々のエッセイの歴史的展開が概観される(第二章と第三章)。とりわけ著者たちの関心を惹くのは、文学形式の革新という観点から重要とされる諸作品である。ここでは紙幅の都合上、三世紀あまりにわたるこの系譜学的記述を詳述することは控えるが、そのラフ・スケッチを試みるとすれば、だいたい次のようになる。すなわち、――モンテーニュが「自己描写」として提起した作品は、その自己反射的な特異性ゆえに、フランス十七世紀の古典主義時代には、「自我は憎むべし」( le moi haïssable)という文学的パラダイムのなかで、充分な継承者を育むことが困難であったが、ベーコン的な経験論を通じて近代イギリス文学に輸入され、ロック、ヒュームを経て、日常社会に接続しながら思想的地平を切り開きうる作品形式として、近代市民社会に根付いてゆく。例えば、スティールとアディソンが連載した『スペクテイター』が成功を博したことは、その後の大衆社会のジャーナリスティックなエッセイストたちの到来を予感させるものであろう。
 十八世紀に入り、そうしたエッセイがフランス語に翻訳され、いわば逆輸入されるようになるのは、当時のイギリスの威信が、フランスにおける英国文学の摂取を促したからである。マリヴォーの『フランスのスペクテイター』のように、イギリスのエッセイを模倣した作品すら登場してくるのだ。その一方で、ヴォルテール、ディドロ、ルソーらの啓蒙思想家たちも、近代的な思想を展開する形式として、このジャンルを活用しているが、とりわけ大革命後は、民主主義、自由主義的な社会空間の創出によって、エッセイの多様化がもたらされる。
 例えば十九世紀には、ロマン主義の出現とともに、シャトーブリアンのように詩的な幻視の才能のある書き手は、社会に新たなパースペクティヴを提示するエッセイを書いている。だが、ロマン主義への幻滅を感じ始めた世代は、エッセイを通じて独自の美学的な批評の先鋭化を行っているし、他方では大学制度と実証主義の発展につれて、ルナンやテーヌらの仕事のなかにエッセイが統合されてゆく。かくして、断章形式からルニュメンタルな大著まで、エッセイのダイナミック・レンジは大きな振幅を経験しているが、その両極を媒介するような位置を担っているのが、近代批評の始祖とも言われているサント=ブーヴなのである。
 このように見てくると、二十世紀にはエッセイの多様化にさらに拍車がかかることは直観的に予見されるとおりだが、グロードとルエットは二十世紀の状況を、以下のようにまとめている。まず、一九〇〇年から二〇年代までのエッセイは、第三共和政の動揺に関して、ラディカルな政治批判を提起することが主な目的となった。三〇年代には、都市における知識人の地位という問題がクローズ・アップされるが、また戦前には、西洋文化の理性に対して、人類学的な越境(セガレン、レリス)や、無意識の芸術(ブルトン)、道徳的侵犯(ジード)への関心も、エッセイにおいて顕著となっている。
 さらに、著者たちによれば、二十世紀のエッセイの大きな政治的主題になっているのは、戦争経験であるが、フランスではドレフュス事件以来、ユダヤ人差別の問題もあるし、キリスト教と無神論の論争も顕著なトポスであり続けている。一方で、人文諸科学の領域では、戦後は言語学の科学性をモデルとして言説形式がシフトしたため、バルトの『彼自身によるバルト』のような非体系的なエッセイは、むしろ際立って見えている。なお、八〇年代からここ二〇年間の最近の動向を特徴付けているのは、知識人たちがメディア社会において発言権を確保すべく、自らの思考を普及化させるツールとしてエッセイを使用するケースである。したがって、そのような大量消費型の言説が流通する状況では、グラック、ボンヌフォワ、キニャールらの企てているような形式面での実験性が、今後ますます重要度を強めることになるだろう。
 エッセイの主要な対象のひとつが、書き手の生活様式や、彼の属する社会状況であるとしたら、時代とともにそれらが変化する以上、エッセイも変容を遂げるのは自然なことであり、著者たちもそうした下部構造の社会学的な考察を、各時代の政治・経済・社会の諸条件と関連させながら論じている。しかし、彼らの議論はそのまま単なる歴史記述に終わることなく、実地検分を経たあと再び理論的な検証へと立ち返ってゆく。それが第四章の「理性と反響」である。
 系譜学的な踏査によって、グロードとルエットが確認しているのは、アンジュノーの分類方法がエッセイに対しては有効ではないということである。むしろエッセイは、次のような四種類の境界線を撹乱する形式として、歴史的に展開されてきたように見える。すなわち、「作品」と「非作品」(未完成な草稿、メモ、書簡など)、「物語的」な言説形式と「三段論法」による言説形式、「公理的」な知の言説と「憶見的」な言説、そして「攻撃文書」の言説と「論争」の言説、以上の四組の境界線である。
 第四章の主要な問題は、このような「無秩序の秩序」としてのエッセイにおける言説の組織化の原理とでも言うべきものである。エッセイはいかにして言説を動脈硬化させることなく、また弛緩した観念奔走におちいることもなく、特殊者と普遍者のあいだで思考の運動を織りなしてゆくのだろうか。学校教育が模範とするような学術論文や古典修辞学の秩序とは異質な、もうひとつの秩序の本質を解明するべく、著者たちは「エッセイスト的判断力」批判を企てる。
ここで重要なのは偶然的なもの、偶発的なもの、状況依存的なもの、相対的なものに関わる思考の運動形式である。それは、カントの批判哲学において「反省的判断」と呼ばれるものと不可分に結合しているが、エッセイストは全体的に論じつくすことの不可能な対象としての現実を、あくまでその部分的、断片的な資格規定において判断するのであり、つねに特殊者から普遍者へと到達するわけではない。したがって、エッセイ的な推論形式は、真偽をいかに言表するかといった、言表行為のタイプとして特徴化されることになる。
 このようにして、真理を表明する様態の問題が析出され、語用論へと議論が接続されるのが最終章である。語用論というのは、周知のように、J.-L..オースティンらによって開拓された言語学の一分野だが、そこでは言表の意味内容や形式的特徴よりも、それを発話する言表行為の次元で言語活動を分析する視点が重視される。この視点に立つとき、自明と信じられているドクサにたいして、判断主体たる自己をも吟味にかけるエッセイは、「条件付の真正性」(11)における言表行為として現れてくるだろう。グロードとルエットは、ブロッホ、ヴァレリー、ペギーたちのテクストを例に挙げながら、真理を留保しうる言説の力動性を、「事実」と「虚構」、「憤慨」と「嘲笑」、そして「恍惚」と「注意」という三組の張力関係において分析してゆくのである。
 以上が本書のおおまかな見取り図だが、著者たちが結論部で再確認しているエッセイの特徴とは、このジャンルが読者をもその活動状態に巻き込もうとするような、つねに進行中の作業(work in progress)にほかならないということである。著者たちやロックも引用していたモンテーニュの言葉を使うなら、エッセイとは真理の「狩り」にほかならないのだが、そこで最も重要なのは獲物じたいではなく、狩りという行為の過程そのものなのである。われわれがすでに見たボージュールの定式、「私が誰であるかをあなたに語る」をこの言語行為理論の観点から解釈すれば、これは行為遂行的な言表であり、エッセイとはアクション・ペインティングとしての「自画像」と言ってもよいだろう。主体を巻き込みつつ、主体自身を描くという行為は、発語行為(locutionary act)や、発語媒介行為(perlocutionary act)とは区別されるべき、発語内的行為(illocutionary act)として考えることが可能だからである。


4

 このように、言表行為の審級へと訴求するグロードとルエットの主張が理解可能な議論であると言えるのは、エッセイというジャンルがその内容面でも形式面でもきわめて多彩であり、言表の次元では「関与性」を規定できないからである。しかし、こうした彼らのエッセイ論には、二つの観点から補足しうる余地が残されているようにも思われる。一つは言語活動についての精神分析的な観点であり、もう一つはジャンルという概念そのものに関するメタ理論的な観点である。
 ここで精神分析的な観点を提起するのは、一見したところ恣意的なエッセイのエクリチュールの運動が、自由連想法(freie Assoziation)と比較可能であるように見えるからである。よく知られているように、自由連想法は、意識された目標表象(Zielvorstellungen)を放棄させることによって、表象のネットワークを組織している無意識の力学を明るみに出すフロイトの手法だが、例えば、失語症に関するロマン・ヤコブソンの研究によると、よく知られている心理テストで、子供が何かある名詞を与えられて、最初に頭に浮かぶことばで反応を発するよう言いつけられると、二つの反対の言語的偏好が終始一貫して示されることが報告されている。この二種類の言語的偏好とは、「代置的」反応と「陳述的」反応のことだが、言い換えれば、前者は刺激語の名詞をその等価物で置き換えるような発話活動、後者はその名詞から物語的な脈絡を形成する発話活動である。
 ヤコブソンは、失語症の分類に、同様の二種類のタイプがあることに注目し、語を選択したり置き換えたりする能力の障害を、相似性の原理に基づく「隠喩」と関連付け、各語を並べて文章を構成する能力の障害を、隣接性の原理に基づく「換喩」と関連付けている(12)。ロマン主義や象徴主義における「隠喩」の優越性と、写実主義文学における「換喩」の優越性という、言語活動の主要な二つの軸――ソシュールの言う「範列」と「統辞」――に関するこのヤコブソンの理論は、さらにその後ロラン・バルトによって、プルーストのおける「エッセイ」と「小説」をめぐってのジャンル論へと展開されている。一九七八年秋のコレージュ・ド・フランスの講演で、バルトは『失われた時を求めて』を、『サント=ブーヴに反駁する』のような「エッセイ」と、『ジャン・サントゥイユ』のような「小説」を統合した第三の形式として位置づけている。 
 バルトによると、「エッセイ」の言説とは、まず何よりも「それは何か」、「それは何を意味するか」という問いによって導かれる言説だとされる。一方で、「小説」の言説は、「私が述べているこれの後には何が続きうるのか」、「私が物語っている挿話は何を生み出しうるのか」という問いによって支えられている(13)。この統辞論的な組織原理に言説が従属していない場合、われわれはしばしば「話が脇道に逸れている」といった逸脱感覚を抱くが、その逆はほとんどないと言ってよい。これは一般に言語活動の線状的、時間経過的な性質に負うところが大きいだろう。
ところで、自由連想法のような精神分析の口述においては、究極的にはその言説全体が心的要素の連関とみなされうる以上、「換喩」的な原理から見ると逸脱にすぎない要素の出現も、必ず他の要素との連想系列を保持していることになる。むろん、思考の意志的選択を排除する自由連想法と、意識的な推敲が積み重ねられた芸術作品とを即座に同一視するべきではない。だが、グロードやルエットたちの議論には、エッセイがあくまで理性的、合理的な判断主体の言説であると想定しているようなところもある。言い換えれば、ニーチェやアルトーのような、異ロゴスの強度の言語活動にまで、彼らのエッセイ論の射程が届いているとは思えない。
 そのように理性的主体が訴訟=過程(procès)に置かれている言説では、エッセイは書き手自身の判断力の試しとしての自伝文学であると同時に、規則性・合法性としてのジャンルにたいする試行・実験・吟味でもある。それはジャンル自身の試しでもあるのだ。エッセイという言語ゲームは、いわば各瞬間ごとに規則を探求し、あらたに創出することを唯一の規則とするゲームである。このようなゲームは、『意味の論理学』のドゥルーズが言うように、ルイス・キャロル的な「コーカス・レース」と同じく、思考と芸術にだけ可能な「観念的なゲーム」(jeu idéal )なのである(14)。
 エッセイが「ジャンル」という概念の境界を揺るがす力能を内在的に持っており、そのような形式としてのエッセイが問題になっている以上、われわれは「ジャンル」の概念についてもある程度ほりさげておく必要に促されるはずである。個々のジャンルではなく「ジャンル」一般についての検証作業としては、たとえば『エッセイとは何か』の第一章でも言及されているジャン=マリ・シェフェールが、「テクストからジャンルへ」という興味深い論文を発表しているので、それを手がかりにしてみよう(15)。
 同論稿は副題の「ジャンルに関する問題系についてのノート」という但し書きが示しているように、従来のジャンル論についての方法論的検討という性格を備えている。シェフェールの議論の核心にあるのは、ジャンル論がこれまではしばしば存在論的な構制にとらわれて経験論的な次元を無視してきたのではないかという問題意識である。これにたいして彼自身が強調しているのは、社会制度的な事象としての文学ジャンルの問題を、認識論的に適切に提起する必要があるということである。以下、彼の議論の順序に従って、その要点をたどってみる。
 シェフェールによれば、あらゆるジャンル論はつぎのような定義のための問いの定式と結びついている。すなわち1)「ジャンルとは何か?」という問いがそれである。各々のジャンル論がこの問い1)に対して与える答えは多種多様であるが、そのときつねに共有されている枠組みに目を向けるなら、この1)問いはつぎのように書き換えることが可能である。それが、2)「テクストをジャンルに結び付けている関係はどのようなものであるのか?」という再定式化された問いである。
 ところで、この2)の問いには、二種類の混同を含むという危険がつきまとう。第一のタイプの混同は、2a)「テクスト(les textes)をジャンル(les genres)に結び付けている関係はどのようなものか」という一般的な問いと、2b)「与えられたこれこれのテクスト(tel texte donné)を『その』ジャンル(≪son≫ genre)に結び付けている関係はどのようなものか」という特定のケースに関わる問いを混同してしまうことである。また、第二のタイプの混同は、2)からその意味論的・統辞的構造をつうじて、3)「経験的現象と概念との関係はどのようなものであるのか?」という存在論的な問いへと横滑りしてしまうことである。
 従来のさまざまなジャンル論の立場は、言ってみれば、この存在論的な問いの地平上に、実在論、唯名論、構成主義という三つの立場として標定されるが、それらはみな過去の「普遍論争」のパラダイムを出るものではない。それらのジャンル論の根底にあるのは、テクストとジャンルの両項を互いに外在的なものとして定立してしまうような二元論である。例えばそこでは、ジャンルという概念は、テクスト性に対して超越的であるため、個々のジャンルの歴史的ダイナミズムを説明することは不可能である。シェフェールは十二・三世紀のドイツにおける「英雄叙事詩」というジャンルの例をとりあげ、それが後世のイデオロギーによって発明された虚構のジャンルにほからないことを明らかにしている。この場合、現実の諸テクストの総体のなかに存在している様々な類似性を分析することによってではなく、現実の諸テクストが多かれ少なかれその派生物であるような理想のテクストを公準として仮設することによって、「ジャンル」という概念が生産されているにすぎないのだ。
 また、このような存在論のパラダイムにおいては、テクストは物理的対象物のアナロゴンとみなされ、「閉ざされていて統一されている自律的システム」(16)として扱われがちである。だが、「それ[テクスト]は特殊なコミュニケーション的な事象であり、特定の構造を備えたコミュニケーションの(少なくとも)ひとつのチャンネルと、そのチャンネルを現働化するようなコミュニケーション的なひとつの行為(あるいはいくつかの行為の総体)とによってかたちづくられている、複合的な事象なのである」(17)。このようなコミュニケーション作用の網状組織のなかで規定されるテクストのジャンル的な性質というものは、決してそのテクスト単体の内在分析だけで解明されるはずがない。或るテクストのジャンル性について語るためには、むしろそれが隣接した諸テクストと結んでいる多彩な関係の束に注目する必要があるのだ。
 たとえば、ジェラール・ジュネットの提起した用語に、「トランステクスト性」(transtextualité)という概念がある。この用語が包摂している諸関係のタイプには、つぎのものがある。テクストとそのタイトル・サブタイトルなどとの関係性は「パラテクスト性」(paratextualité)、テクストとそれが引用したり暗示したりしている他のテクストとの関係は「間テクスト性」(intertextualité)、テクスト同士のあいだの模倣や変形は「ハイパーテクスト性」(hypertextualité)、テクストとそれに対する注釈的テクストの関係は「メタテクスト性」(métatextualité)である。
 ジュネットは古典的なジャンルの三分割を検討している『アルシテクスト序説』において、これらの「トランステクスト」性のひとつである「アルシテクスト性」(architextualité)として、テクストとそのジャンルの関係性である「ジャンル性」を考えたらどうかと提案している(18)。ところで、シェフェール自身は、「ジャンル性」という関係性は、二つのテクストの組み合わせにおける関係性であるような上述の「トランステクスト性」とは異質の側面を持つと主張している。ジュネットの言う「アルシテクスト性」は、たしかにテクストがジャンルに結びつく帰属関係を構成するものであるが、そうした帰属関係が成立するのは、言表行為の様態(例えば物語的・ドラマ的・混合的モード)と、かくかくの言説のタイプとの間であって、これは静態的な分類学の平面上に認められる事象である。しかし、シェフェールが提起しようとしている「ジャンル性」の概念は、テクストの生産というもうひとつの重要な機能的側面を持っている。それは、動態的・歴史的な力学という方法論的な場を要請しているのである。
 われわれは、ここで『エッセイとは何か』の提起していたエッセイの定義に立ち戻り、個々のエッセイが「試し」という実験の根源性において、そのつど新たなジャンルの規則の創出を探究する可能性を持っていることを改めて強調しておこう。たとえば、スティールやアディソンたちは定期刊行の形態でエッセイを実践することによって、このジャンルのジャーナリスティックな可能性を開拓したのだといえよう。いっぽう、そうした雑誌連載の形態でも、ラムの『エリア随筆』は、筆者が勤めていた南洋会社のイタリア人事務員エリアという「仮面」のもとに一人称で記述されており(ラム自身はこの同僚が当時すでに死んでいたことをしらなかったらしい)、一種のフィクションとしてのエッセイ形式を示唆している。その後、1823年1月の『ロンドン・マガジン』誌上に発表された「『新年』の成年祝い」というエッセイには、ラムは「エリアの亡霊」とも署名しているのである。
 あるいは、ロラン・バルトが発表した『彼自身によるバルト』の扉の裏には、「ここにあることはすべて小説の登場人物によって語られていると見なされねばならない」という、一種の「小説契約」pacte romanesque とでも言いうる規則が与えられている。バルトは断章形式を活用して、短いテクストごとに自己の断片をカレイドスコープのように乱反射させている。一人称のさまざまな声の調子ばかりでなく、或る断章は自己との二人称の対話形式、或る断章は三人称で、それぞれバルトと思われる人物が登場する。ときには『零度のエクリチュール』で批判されていた、単純過去という時制によって語られていれる断章もあるのだ。
 よく知られているように、晩年のバルトはプルーストやスタンダールといった小説家の実践に寄り添うようにして、小説を書く主体という視点の内側に自己を仮設し、エッセイや日記というジャンルをロマネスクな実践のなかへ転位させる可能性を模索し続けていた。先に見たように、『失われた時』をめぐるバルトの1978年の講演は、ヤコブソンによる失語症の二種類のタイプに関する言語学的カテゴリーを、エッセイ(選択)と小説(結合)にそれぞれあてはめているが、書くという仕事を選んだバルトの「新たなる生」も、エッセイと小説のあいだで第三のジャンルを創出する企てにつながっているのである。
 原理的に、文学史というものは、偉大な作品の出現によってつねに書き換えられうる可能性に向かって開かれている。その意味では、あらゆるテクストにとって、そのモデルとなるテクストは、とりわけ他のどのテクストにもまして「加工」を加えるべき「素材」としての地位規定を備えているテクストのことを意味している。ジャンルの歴史におけるこうした変更可能性の問題は、さきに見たような2a)と2b)の混同にも関わるものであって、2a)の問いが回顧的な分類のカテゴリーに結びついていて、クラスへのテクストの帰属という観点から解答されうるのに対し、2b)の問いのほうは、クラスの構成要素としてのテクストと、或る時期tにおける歴史的対象としてのテクストという二重の面に関連している。
例えば、{a,b,c,d,e,f,g}といったテクストから構成されるクラスとしてGというジャンルを想定してほしい。いま、時期tcに出現したクストcとジャンルGとの関係は何かと問うならば、このとき重要になるのは、回顧的に定義されたGつまり{a,b,c,d,e,f,g}ではない。そうではなくて、歴史的に時期tbにおいて形成されていた下位集合のGbつまり{a,b}をとりあげるべきなのは言うまでもないだろう。むろん、cとG{a,b,c,d,e,f,g}の関係じたいを問うことも出来ないわけではない。だが、その場合に返ってくる答えは、Gによって定義された集合の要素としてcはGに属しているという同語反復的なものでしかありえず、現実に(in actu)機能しているテクスト的ジャンル性とは無関係なままである。
 ところが、ひとつのジャンルが構成されるという事態は、実際には批評家や研究者によるメタテクストの言説的戦略と緊密に結びついている。ジャンルの境界を選択したり、諸特徴からの抽象化の水準を決定したり、説明的なモデルを選んだりするのは、そうした読み手の営みにほかならない。そのようにして設定されたクラスの水準において問題になっているのは、例えばウィトゲンシュタインが「家族的類似性」(Familienähnlichkeiten)と呼んだ関係性なのである。
こうした立場から、シェフェールは「ジャンル」という用語を分類上の純粋な範疇として位置づけ、それが或る種の読書のタイプを構造化するものだとするいっぽうで、「ジャンル性」という用語をそれとは区別して、テクスト性の構成の生産的ファクターだと考えるのである。この「ジャンル性」は、単なるモデル的テクストの複写・再生産の体制には還元されない。そこではテクスト的な変形の体制が作動しており、そのとき固有の判断基準となるのは、様態、形式、主題といった異なる水準で、複数の類似性が共に存在しているかどうかということである。
 そうした強力なテクストは、回顧的分類という観点から見ると、新たなジャンルの開始か、非=ジャンル的テクストとみなされる。例えば、モンテーニュの『エセー』はそれまでの古典文学の諸先行形式や、同時代の人文主義的言説を否定的に捉えた作品ではないし、むろんそれらのパロディというわけでもない。むしろ『エセー』はそうした従来の言語ゲーム、さらには自分自身の初版や第二版の言語ゲームの規則に、自己注釈というかたちでたえず変形作用を及ぼすことを通じて、「他なるもの」へと生成し続けているダイナミックな持続なのである。このような変形の体制は、モノグラフィばかりでなくジャンル論にとっても、きわめて興味深い研究対象であることにかわりはないだろう。

 形式にたいするこのような歴史意識における実験として「エッセイ」という語を捉えたとき、たとえば「筆」に「随う」といった意味の語のもとに数々の作品を育んできた日本の文学環境においても、あらためて「エッセイ」とは何かという問いが起ち上げられねばなるまい。『徒然草』なら『徒然草』を「エッセイ」と呼ぶことが可能になる諸条件とは何なのだろうか。「つれづれなるままに、日くらし、硯にむかひて、心にうつりゆくよしなしごとを、そこはかとなく書きつくれば、あやしうこそ物くるほしけれ」という書き出しの「物くるほし」に、執筆内容の愚かしさにたいする兼好法師の自省的な契機が認められるということなのだろうか。
 今日の日本社会では、「随筆」と「エッセイ」を同義語として使用することはほとんど慣例になっている。『リーダーズ英和辞典第2版』(1999)では、”essay”の訳語に「小論・評論、随筆、エッセイ」といった用語が選ばれているし、『ロワイヤル仏和中辞典』(1985)における”essai”は「エッセー、随筆、試論」、また『クラウン独和辞典第2版』(1997)の”Essay”も「エッセイ、随筆」といったしだいである。おそらくは誰もが「随筆」と「エッセイ」はやはりどこかが違うのではないかと感じつつも、日常生活上の簡易さから、手早く外貨を交換するときのように、これらの記号の手触りをひとまず棚上げにして流通させているのではないか。
 というのも、現在の日本語メディアにおいては、むしろカタカナによる名称のほうが好んで使われてさえいるからである。これはひとつの例だが、WEBのサーチエンジンGoogleで検索すると、「エッセイ」が約十三万一千件、「エッセー」が約十三万七千件ヒットするのにたいし、「随筆」ではその半分の約六万千八百件、「随想」では約四万四千三百件だから、およそ三分の一しかない。この傾向は「作者」の呼称にも顕著であって、Googleでは「エッセイスト」が約二万四千二百件ヒットするが、「随筆家」では約三千七百二十件と六分の一以下に減っている。
 なるほど、とりわけ欧米文学の浸透が日常的になった現代の日本では、これは一見すると自然なことのようにも思われる。しかし、それならば「詩」や「小説」といった日本語のかわりに「ポエム」や「ノヴェル」がより多く使われているかというとそんなことはないし、「ポエット」や「ノヴェリスト」という表現に到ってはほとんど皆無である。「エッセイスト」という単語は、ひと足さきにイギリス文学に現れたあと、フランスでは1830年代になって逆輸入的に使われ始めるのだが、これは専門的にエッセイを書く職業が、近代市民社会に定着してきたということも意味している。ちなみに日本では、日本エッセイスト・クラブ賞なるものが設けられたのは、1953年のことである。
 もはやここでは、そうした職業作家の地位規定をめぐる社会学的な考察を詳細に展開することはかなわない。注意を喚起しておきたいのは、たとえば『枕草子』、『徒然草』、『方丈記』といったおなじみの書名である。誰もが日本の「三大随筆」として親しんでいるはずのこれらの作品には、肝心の「随筆」という語はひとつも使われていないからである。書名にこの語を冠した作品としては、ようやく室町時代になってから一条兼良の『東斎随筆』が登場するが、その内容はむしろ説話集と言うべきであるし、中国に目を向けてこの語を冠する代表作を探してみても、南宋時代の洪邁による膨大な箚記『容斎随筆』は文献書誌の考証学といった色彩が濃厚である。
 いっぽう「随想」という語の定着は、古来の「随筆」にたいし、かなり遅れていると言わねばならない。戦前では新渡戸稲造の『随想録』(1907)や、東京朝日新聞経済部編の『經濟隨想』(1927)、また萩原朔太郎、正宗白鳥、長谷川如是閑など六十人近い作家の文章を集めた大草實編の『読書随筆』(1938)といった国内の著書も存在してはいるが、この語が本格的に社会に普及するようになった契機としては、1930年代からジイドの『思索と隨想』(1933)や、『パスカル隨想録』(1934)モンテーニュの『随想録』(1935)などの翻訳・紹介が開始されたことがやはり大きいと言えそうである。
 それゆえ、こうした日本における「エッセイ」概念の受容史もふくめて、われわれが同時に練り上げてゆかねばならないのは、「随筆とは何か」という問いの問いかたであることはもはや言うまでもないだろう。「詩」や「物語」に比べて歴史的に遅れて誕生したこのジャンルは、まだその理論的探求が始められたばかりなのである。


(1) Alexander J. Butrym ed., Essays on the Essay : Redefinig the Genre, The Uiversity of Georgia Press, 1989, p. 5.
(2) Pierre Glaudes et Jean-François Louette, L'Essai, Hachette Supèrieur, 1999. “Contours littéaires”.
(3) Réda Bensmaïa, Barthes à l’essai, Gunter Narr Verlag, 1986.
(4) Philippe Lejeune, Le pacte autobiographique, Seuil, 1975, p. 14.
(5) Philippe Lejeune, L’Autobiographie en France, Armand Colin, 1971, p. 57. 
(6) Michel Beaujour, Miroir d’encre, Seuil, 1980, p. 7.
(7) Ibid, p. 8.
(8) Ibid, p. 9.
(9) O. B. Hardison, Jr., “Binding Proteus : An Essay on the Essay”, Essays on the Essay, A. J. Butrym ed., op. cit., p. 11.
(10) Glaudes et Louette, op. cit., p. 16.
(11) Ibid., p. 142.
(12) Roman Jakobson, “Deux aspects du langage et deux types d’aphasies”, Essais de linguistique générale, trad. et préfacé par Nicolas Ruwet, Minuit, 1963, p. 43-67.
(13) Roland Barthes, ≪ Longtemps, je me suis couché de bonne heure ≫, Œuvres complètes, t. V, 1977-1980, Seuil, 2002, p. 460.
(14) Gilles Deleuze, Logique du sens, Eds. de Minuit, 1969, p. 74-76.
(15) Jean-Marie Schaeffer, ≪Du texte au genre : notes sur la problématique générique≫, dans Gérard Genette, Hans Robert Jauss, Théorie des genres, Seuil, 1986, p. 179-205.
(16) Ibid., p. 191.
(17) Ibid., p. 191.
(18) Gérard Genette, Introduction à l’architexte, Seuil, 1979, p. 88.

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貴殿のエッセイ論を拝読して、モンテーニュがどの様な感想を本論に対して抱いたであろうかと大いに知りたくなりました。どのような領域であれ、嚆矢となる新提案が学域として公知されるや全方位からの解剖と分析がステータス作業として実施され、やがて厳密な定義と批評が派生して、学際に祭り上げられる過程を辿るようです。貴殿の博覧強記の知識を頂戴し、大いに感謝していますが、私見としてはもう少し自由な考え方、例えば、フィクションでもドキュメンタリーでもない、随想と随筆の意義を含む論述や主張あっても許容されるのではないかと考えます。そんな自由な立場から、これからもささやかなエッセイを、私なりに公開してゆく積りです。ともあれ、深く感謝します。

Rédigé par: 太田 治良 | le 29/12/2005 à 19:13

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