ジェラール・ジュファン『ヴィルヘルム・フルトヴェングラー 権力と栄光』

2007年7月10日付で、音楽之友社から拙訳によるフルトヴェングラーの伝記が出ます。414頁、3,500円。以下の文章は末尾に付ける「あとがき」のための原稿から、です。

フルトヴェングラーといえば、ドイツ音楽の精髄を体現した指揮者ということになっているが、彼のようにその芸術性が普遍的な次元にまで到達し、母国はもとより世界中にフルトヴェングラー協会のような組織が設立されている指揮者はまずもって存在しない。その各国の協会のなかでも、日本と並んで会員数の多さを誇っているのが、フランス・フルトヴェングラー協会(SWF)なのである。本書は、そうしたフランスを代表するフルトヴェングラー愛好家・音楽評論家のジェラール・ジュファンによる、下記の著作の全訳である。Gérard Gefen, Wilhelm Furtwängler: la puissance et la gloire, Paris, Archipel, 2001, 301 p.


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本書の読者のために、訳者としては二つだけお断りしておかねばならないことがある。まず一つは、原著には、「フルトヴェングラーの芸術」と題されたCDが付録としてついており、巨匠の演奏のハイライトが聴けるのだが、邦訳版では諸般の事情により、残念ながらこれを断念せねばならなかったことである。もう一つは、とりわけ熱心なファンの方には気になるところと思われるが、ディスコグラフィに関することである。原書の刊行は六年前に遡るため、せめてディスコグラフィには最新情報を反映させようという配慮から、特別に浅里公三氏に監修としてのご協力を戴いた。厚くお礼申し上げるしだいである。また、音楽之友社の石川勝さんには辛抱強い伴奏者の役割をつとめていただいた。記して謝意をあらわしたい。

 
  

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PRESENTATION : ロラン・バルト著、『ロラン・バルト著作集3 現代社会の神話』(みすず書房)

本書は、戦後フランスを代表する批評家ロラン・バルトが、大衆消費社会に向かう高度成長期のフランス社会を、文学や政治のみならず、広告・スペクタクル・スポーツ・自動車・料理など日常生活の細部にまでわたって幅広くとりあげ、そこに働いている現代的な「神話」すなわちステレオタイプを分析した『現代社会の神話』の全訳です。

従来、本書は人文諸科学初の記号学的な著作として位置づけられてきました。けれども、このエッセイ集は、単なる抽象的な理論書にとどまらないもう一つの性格を同時に備えていると言えます。週ごとのメディア情報に鋭敏に反応しつつ、しなやかな批判的思考をつむぎだしてゆく、文学者、美学者、社会学者、ジャーナリストといった多彩な顔をそなえた、「エッセイスト」としての実践態の魅力――、これです。

例えば、著者は当時のグラビア誌が表紙にした黒人少年の敬礼する写真を取り上げて、メディアの大衆操作、すなわち植民地主義的なメッセージを記号学的に解明しています。この分析例は、カルチュラル・スタディーズやメディア・スタディーズで必ず取り上げられる最も有名なケースであるにもかかわらず、その肝心の写真資料は今回の邦訳作業に至るまで特定されてきませんでした。

しかし、そのメッセージの核心をなす「フランス性」の本当の意味は、実際に写真の「画面」を見て少年の鮮やかなまでに白い掌を確認することによって初めて確認されるものであり、さらに言えば、理容院でその『パリ=マッチ』誌と出会ったときにかかる記号学的発見が生まれたのだという経緯まで書き込まずにはいられないエッセイストとしてのバルトの資質を理解するためには、そのような記号学的経験の具体性・個体性・特異性を回復することが欠かせないはずです。

本書のフォーレの歌曲をめぐるエッセイのなかでも、バルトは「どんな形式でも抽象を目指す必要がある」と述べています。「それはすこしも官能性に反することではない」。神話学の記号論的な形式化は、「記号」の皮膚感覚と両立可能なのではないでしようか? このような意味で、拙訳およびやや煩雑ながらその訳注(annotaions)が、新たな神話学者像の創出に貢献できていれば幸いです。

PS. 評論家の坪内祐三氏が、中央公論社の『論座』2005年5月号に、ご自身のコラム「雑読系」(第71回)で書評を書いてくれました、深謝します。 (pp. 324-327)

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Pascal Quignard, "Sur le jadis"

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ゴンクール賞を受賞したかれのエッセイ集"Sur le jadis"(Dernier Royaume II, Grasset, 2002)から、おりおり眼に留まった断章を抜き出してはランダムに訳してゆくエントリーです(以下たぶん未完のまま続く)。

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昏睡する友人たち

アラン・シャニーは昨年冬亡くなったフランスの寡作な小説家です。生前出版されているのは二冊だけ。そのうち第一作の『解散命令』はガリマール社から1972年に出版され、J・デリダをはじめ、J.M.ル・クレジオ、D.フェルナンデス、J.ガルサンたちの熱烈な支持を受けました。彼が26歳のことです。ところが作家は、その後オーヴェルニュ地方の高山に移住し、牧畜生活を始め、あたかもランボーのように≪書くこと≫と断絶してしまいます。そのシャニーが1992年に突然の沈黙を破って発表した短編集が、『パリの乾き』でした。同書から、散文詩のような「昏睡する友たち」全文を訳したものをUPます。


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フィリップ・ジヤン 「人生を愛するためのひとつの理由」

Philippe Djian, ≪Une raison d'aimer la vie≫の試訳です。1984年にブローティガンが自殺したときに彼の死を悼んで書かれたテクスト。出典は彼の短編集の『クロコダイルたち』(1989年、ベルナール・バロー社)。


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リチャード・ブローティガン「花を焼く人」

自殺したブローティガンの短編「花を焼く人」を昔ためしに(自分用に)訳したものをUPしておきます。「花」というのは、作品にあるように紫色のアヤメ(写真)のこと。藤本和子さんによる伝記を読んだら、我が身の語学力を顧みず、遺稿集を訳読してみたくなったのです。

Richard Brautigan, "The Flower Burner", The Edna Webster Collection of undiscovered writings, A Mariner Original, Houghton Mifflin Company, Boston, New York, 1999.  

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